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八百屋お七

八百屋お七の日

1683(天和3)年のこの日、18歳の八百屋の娘・お七が、3日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられた。

前年12月28日の大火で避難した寺で出会った寺小姓・生田庄之介のことが忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火、火はすぐに消しとめられたが、お七は御用となった。

当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた。そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう」と問うが、その意味がわからなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった。

Wikipediaより


お七が丙午[ひのえうま]の年の生まれであったことから、丙午生まれの女子が疎まれるようになった。

一匹でも多くの犬猫が幸せに巡り逢えます様に。

火災は命を奪い、焼け出されてしまったりと、哀しい災害の一つですが…。


「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたとおり、江戸の町は火事が多く、鎮火するための火消たちが大活躍していました…

「は組」の新吉と呼ばれる火消はハチ(八)という洋犬(唐犬)を飼っていました…

火消と大型の洋犬というのは、絵になる姿です。火事の類焼を防ぐために家を壊して回るため、火消は筋肉質な肉体をもっていました。新吉もきっと立派な体躯の持ち主だったはず。その相棒が、当時はめったに見られない大型の洋犬ですから、江戸の人々は「一人と一頭」に驚き、話題になったことでしょう…

江戸時代、犬は里犬と呼ばれ、特定の飼い主がいたわけではなく、地域に住み着いた放浪犬でした。そんな時代に、新吉とハチは飼い犬と主人の関係を築き、大切に飼育されていたのです…

サライより抜粋




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